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講道館柔道 対 アド・サンテル

「ザ、格闘技」 著者 小島貞二

サンフランシスコの闘い

アド・サンテルとはルーテーズの裏の師匠でありシュートテクニックを教えた人物である。
当時のプロレスの裏の番人といわれた。プロレス用語で言えばポリスマンですね。
時は大正時代の事でした。    カチ・カチ・カチ(拍子木の音)

      

柔道海外普及の四雄。右から前田光世         アド・サンテル(右)
伊藤徳五郎、佐竹信四郎、大野秋太郎(大正元年)


アド・サンテルは太平洋沿岸のミドル級のタイトルを持ち
体格はさほどはないが、怪力とバランスのいいレスリングで
鳴らしていた。

サンフランシスコあたりで、日本人柔道家と何度も試合をしているうちに
見よう見まねですっかり柔道を憶え、その盲点までよく研究するように
なっていた。

当時、柔道家と称する日本人の中には、昔の柔術あがりの人たちもいた。
そんな連中が時にもろい負け方をして同胞の顰蹙(ひんしゅく)を買う。

前田光世や佐竹信四郎が、日本柔道の強さを誇示する反面
そんな柔道家を赤子のようにひねるレスラーの出現は在留邦人たちにとって
決して面白いものではない。

「サンテルをやっつけやれ」という声に応じて、伊藤徳五郎が選ばれたのだ。
(伊藤徳五郎:日本柔道を海外に広めるため、世界を渡り歩いた猛者) 
サンフランシスコの会場である。
試合は20分ずつの3本勝負。

1本目は、伊藤は慎重にかまえて、機を見て仕掛けた横捨身。
ダーッと倒れたが、それがサンテルに乗ずる隙を与えた。
両足で胴を絞められ、脱出するまでにほとんど5分経過したほどだ。

その間、サンテルはガムを噛みながら悠然とレフェリーに談笑を
しかけるゆとりを見せていた。

2本目、容易ならざる相手と知った伊藤は、憤然と攻勢をかけ
押し気味の展開に、邦人たちはあらんかぎりの声援を送る。
「チャンス」と見た伊藤は、巴投げから背中に回り、
両足で胴を絞めながら裸絞めに行った。

いや行こうとしたその時だ。
サンテルは左手で伊藤の手首をにぎり、右手で伊藤の足首を
かかえ込んでスットと立ち上がったではないか
まさに信じられないような光景だ。

不適な笑いをもらしながら、サンテルはそのままマットを
2、3回まわって、倒れる位置を測るようにして立ち止まり
ダーッと反り身になって倒れた。

背中に負った伊藤の、その後頭部を真下にして、2つの肉体の
重ねもちだ。見る人たちの背中を恐怖が走る。
伊藤は脳震盪をおこしたのだろう。

そのまま悶絶した。もし少しでも起きる気配を見せたならば
サンテルは当然その上にのしかかって行ったろう。

その必要はなかったのである。
想像を絶した殺し技に、柔道は完全に敗れ去ったのである。

 次回へつづく →サンテルの挑戦状


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