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アド・サンテルは太平洋沿岸のミドル級のタイトルを持ち 体格はさほどはないが、怪力とバランスのいいレスリングで 鳴らしていた。
サンフランシスコあたりで、日本人柔道家と何度も試合をしているうちに 見よう見まねですっかり柔道を憶え、その盲点までよく研究するように なっていた。
当時、柔道家と称する日本人の中には、昔の柔術あがりの人たちもいた。 そんな連中が時にもろい負け方をして同胞の顰蹙(ひんしゅく)を買う。
前田光世や佐竹信四郎が、日本柔道の強さを誇示する反面 そんな柔道家を赤子のようにひねるレスラーの出現は在留邦人たちにとって 決して面白いものではない。
「サンテルをやっつけやれ」という声に応じて、伊藤徳五郎が選ばれたのだ。
(伊藤徳五郎:日本柔道を海外に広めるため、世界を渡り歩いた猛者) サンフランシスコの会場である。 試合は20分ずつの3本勝負。
1本目は、伊藤は慎重にかまえて、機を見て仕掛けた横捨身。 ダーッと倒れたが、それがサンテルに乗ずる隙を与えた。 両足で胴を絞められ、脱出するまでにほとんど5分経過したほどだ。
その間、サンテルはガムを噛みながら悠然とレフェリーに談笑を しかけるゆとりを見せていた。
2本目、容易ならざる相手と知った伊藤は、憤然と攻勢をかけ 押し気味の展開に、邦人たちはあらんかぎりの声援を送る。 「チャンス」と見た伊藤は、巴投げから背中に回り、 両足で胴を絞めながら裸絞めに行った。
いや行こうとしたその時だ。 サンテルは左手で伊藤の手首をにぎり、右手で伊藤の足首を かかえ込んでスットと立ち上がったではないか まさに信じられないような光景だ。
不適な笑いをもらしながら、サンテルはそのままマットを 2、3回まわって、倒れる位置を測るようにして立ち止まり ダーッと反り身になって倒れた。
背中に負った伊藤の、その後頭部を真下にして、2つの肉体の 重ねもちだ。見る人たちの背中を恐怖が走る。 伊藤は脳震盪をおこしたのだろう。
そのまま悶絶した。もし少しでも起きる気配を見せたならば サンテルは当然その上にのしかかって行ったろう。
その必要はなかったのである。 想像を絶した殺し技に、柔道は完全に敗れ去ったのである。
次回へつづく →サンテルの挑戦状
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