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            講道館柔道 対 アド・サンテル
                    
                    
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               アド・サンテルの挑戦状

講道館五段の実力者をもってして、この始末である。
在留邦人たちのショックより、東京の講道館のショックはさらに大きかった。

それから半年、伊藤は復讐の鬼と化した。
むろん前田や佐竹のアドバイスを参考にして、猛トレーニングを
続けたことはいうまでもない。

翌年の6月、伊藤からサンテルに挑戦し、こんどは絞め落として勝った。

サンテルが伊藤に勝ったこの‘脳天逆落とし‘
とでも呼ぶ地獄の反り技は、その後レスラーの間に流行、日本人柔道家が
しばしばこれでやられている。

いうなればサンテル・スペシャルであった。

それから5年たった大正10年の春、そのサンテルから
1通の挑戦状が東京の講道館にとどいた。

「ぜひ講道館のチャンピオンと試合がしたい」というのである。

サンテルはそのとき、プロレスの”ミドル級世界チャンピオン”と名のり
13年間の敗戦はたったの1回。
ドイツ生まれのアメリカ人で、32歳、体重185ポンド(84kg)と
自己紹介がしてあった。

”伊藤五段を破った男”サンテルの挑戦をめぐって
講道館は騒然となった。黙殺すべきか、応ずるべきか、

決は嘉納師範のはら一つ。

高段者たちの間には、さまざまの憶測が流れた。
新聞がジャンジャン書き立てる。

初めは黙殺するつもりであった師範嘉納治五郎も
新聞社の追及にはらをきめて「挑戦に応じましょう」とキッパリと返事をした。

当時、講道館には、徳三宝、石田信三の両五段が”鬼”の存在を示していた。

当然、やるとすれば二人のうちのどちらかになる。
徳三宝ならサンテルごとき鎧袖一触だという声の中に
同じ五段で、しかも海外でレスラー殺しを体験している伊藤が
やられているのだから、万が一負けた場合は、日本柔道のメンツにかかわる。

もう少し若手を出すべきだという説も入り交る。

そうすると、二宮宗太郎、結城源心、石黒敬七あたりの
四段クラスに火の粉がふるかかる。

みんな不安と自信の交錯する複雑な心境で指名を待っていた。

  次回へつづく


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