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            講道館柔道 対 アド・サンテル
                    
                          
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                    児玉道場

一方には、「戦うべからず」の意見も強かった。
だが師範の「やる!」という鶴の一声の出た今、
それを逆転さす可能性はない。

「しかし、俺はあえて言う」と立ち上がったのは岡部平太五段だった。
岡部はその前の年、アメリカ留学からもどったばかりで、
師範邸の一室に住んでいたほどのお気に入りだ。

アメリカで体験したプロレスラーの実力と実体を縷縷説明したあと
勝っても負けても、彼に講道館が利用されるばかりであると説いて
敢然と反対をとなえたのだ。

ときには舌鋒するどく、師範の激昴を買いながら、破門を覚悟の
諌止の弁は延々8時間にもおよんだ。

一度は叱りとばした嘉納も、熟考の末、その忠告を入れて
サンテルの挑戦に応じる回答を撤回し「サンテルと試合する者は破門する」
館員とちに厳命した。

これで一件落着と思わたが、波紋は講道館の外に広がっていた。

俗に”児玉道場”と呼ばれる弘誠館という町道場が
「講道館が逃げるなら、俺たちで迎え討とうではないか」
名のりをあげたのだ。

児玉光太郎は”義足の達人”と呼ばる「天神真楊流」の名手。

「講道館柔道修行所」の看板も同時にかけている。
その門下生、庄司彦男三段、清水一三段、永田礼次郎三段
増田宗太郎二段らが、いきり立ったのである。

講道館を破門になることは、柔道への道を永遠に
とざされることを意味する。

それを承知で、敢然とサンテルの矢おもてに立とうと
いうその児玉道場の意気は、男の意地であり
日本人の意地でもあった。

絶賛と罵倒の渦巻くなかに、アド・サンテルが
ヘンリー・ウエーバーというレスラーを同道してやって来た。

試合は3月5日、6日の両日、九段靖国神社境内の
相撲場と発表された。

日本側は増田二段が最年長で30歳、1m64cm、68kg
最年少は清水三段の21歳、1m68cm、76kg
庄司三段は26歳、1m70cm、75kg
永田三段は25歳、1m70cm、77kg

みんな日本の柔道家としては平均的な体である。
サンフランシスコにおける伊藤徳五郎五段の敗戦は
意外な波紋を日本の柔道界に投げかけたのであった。

  次回へつづく


     

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