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             思わずタップ  2月2日  novi

 一通りの稽古を終え、
 軽く立ち位置からのテイクダウンを行っていた時の出来事であった。
 相手に左足を取られたので、倒れまいと右足一本で
 何度かジャンプをして凌いでいたが、
 迂闊にも足首を捻った状態で着地をしてしまい、
 その瞬間「ブチッ」と言う鈍い音と共に重い痛みが
 右足首に走ったのである。  

 これまでに、右肩関節脱臼を二回、
 鎖骨骨折、肋骨骨折、手指骨折三箇所、鼻骨骨折、
 左足首複雑骨折と言うように、
 数多くの怪我を経験してきた私には、
 この足首の痛みは只事では無いと言う事が直ぐに解ったが、
 そこは皆の手前、余り大げさにする訳にはいかないと思い、
 痛みを堪えて何も無か  ったかのように振舞い通した。

 しかし問題は妻に何と説明するかである。
 その夜は直ぐに自分の部屋へ引き篭もり、
 何とか悟られずには済んだものの、
 無駄なあがきもそこまでで、その夜は痛みで全く眠れず、
 朝起きて見ると足首から下が真っ黒に腫れ上がっていたのである。

 もうこれ以上隠しようが無いと観念した私は、
 激痛を堪え這いながら階下に居る妻の元へと向かった。

  「おい、ちょっとこの足見てくれへんか」・・・・
   付け加えておくが、妻は現役の看護婦である。

  「あんた、まさかシップとかで治そうと思てへんやろな?」、

  「どないしたらええやろ?」、

  「そんだけ腫れてるんやから、
   骨が折れてるか筋が切れてるかどっちかや。
   早う病院行かんと知らんで!」。

 そんな会話の後、
 妻の肩を借りながら近くに有る
 スポーツ傷害を診療している整形外科へ行く訳だが、
 そこで予想だにしない屈辱的なタップを味わう事となる。
 診察が終わると、お決まりのレントゲン撮影をすると言う事で
 X線室へと案内され、何枚かを撮影した後の出来事であった。

 それまでは一人の技師によって撮影を進めて来たのだが、
 もう一人が呼ばれて二人となり、
 いきなり「少し我慢して下さい」と言われたかと思うと、
 痛めている足首を痛い方向に、思いっきり曲げられたのである。
 瞬時の出来事では有ったが、
 言葉には表されない程の痛みに思わず声をあげると同時に、
 技師の背中をタップしてしまったのである。  

 私も今迄数え切れない程の痛みを経験してきたが、
 今回の痛みはかなりのものだったようで、
 あまりの痛みに笑いが止まらず完全に腰が抜けてしまい、
 数分間は撮影台から下りる事すら出来ない程であった。

 後から受けた説明によると、靭帯が断裂しているか否かは、
 関節に負荷ををかけてその開き具合で判断するしか無く、
 仕方の無い手段であったらしいが、
 今でも思い出しただけで背筋がゾッとして来る体験であった。
 その後、紹介された総合病院にて靭帯の接合手術を受け、
 身の回りの色んな出来事も重なり、
 稽古に復帰するまでに九ヶ月と言う時間を要したが、
 その事は次回に書かせて頂く事として、
 本日はこの辺にてお開きとさせてもらう。


 青帯審査会 2001年9月14日(金)   ひつじ

 「20歳になったら武道、格闘技を始めて長く続けよう!」と決意し、
 沖縄サブミッション柔術会に再入門して、2年半が過ぎ、
 多少の自信もついたころに青帯の審査会
 を開いていただくことになった。

 審査会の内容は、参加してくれた人全員との3分のスパーリングで、
 今回は12名に集まっていただいた。
 審査のルールは、審査を受ける自分が一本取ったら終了(取られても続行)で、
 一本取るノルマが6本とされました。

 3分×12本だから力を抜き、呼吸を楽にして
 スタミナ、筋持久力、全身持久力等が切れないように
 心がけつつスパーをする。
 甘かった。
 みんな普段の稽古以上に、メチャクチャやる気満々で、がんがん攻めてくる。

 「何故だ?もう少し思いやりがあってもいいじゃないか?」と思いつつも
 前半戦(白帯の初級者戦)で取らなければならないであろう
 ノルマを激しい抵抗によって半分しか果たさないまま、
 後半戦(青帯、茶帯のVS上級者戦)入る。普段でも互角以下の勝負
 しか出来ない相手に、一本取れるはずも無く、
 ボロボロにされつづける。

 きつ過ぎて頭が白くなり、自分の不甲斐なさに悔しくなり歯軋りをする。
 本気で下から相手を殴ろうかと考えたり(笑)弱気になったり・・・と
 自分の精神と闘う状況が続く。
 やがて、12名全員とのスパーは終わったが、
 ノルマ未達成のため残り分を終了するまで、
 また一人目からスパーが開始される・・・。

 (以後スパーリング中の記憶無し)

 結局、全部で4本しか一本勝ちできずに審査会を終了となる。
 青帯はいただいた。
  しかし、ノルマを達成できなかった自分の技術のつたなさ、
 小賢しくスタミナを遣り繰りしようとした根性など、悔やみが残る。
 反省点の多い審査会となった。


 審査会後の居酒屋での懇親会にて

 審査会で凹んでいたひつじが到着すると、やんややんやの拍手喝采。
 ビールを飲んで愉快になれば、へこんだ気分もどこへやら(笑)

 

 「わははっ。もっともっと強くなってやるぞぉ〜!」


 
                           平成12年7月29日 novi
      
                         「スランプ」
 
 
柔術を始めてもうすぐ十ヶ月になろうとしているが
 
最近稽古での目的を見失ってしまい自分自身に
 苛立ちと焦りを覚えるようになってきた。
 その一つとして未だに何一つとして決め技を
 自分の物にする事が出来ないと言う事、そして相手の

 上を取れないと言う事だが、前者に関しては
 今まで目的を持った稽古をして来ていれば自ずから道は
 開けていた筈であり、後者に関しては自分自身の
 メンタルな部分がかなり影響していると思う。
 兎に角今は稽古で何かを見出せない限りこれ以上の

 進歩はまず期待出来ないであろうし、それが容易でない事も
 承知している。
 そんな事を悩んでいると、高校時代にやっていた体操競技で
 突然スランプに陥った時の事を懐かしく思い出してしまったが
 たった十ヶ月程度の経験しか無い柔術で、それが伸び悩んでいるからと

 言ってスランプなどと偉そうにほざくのは苦笑物では有るが
 参考程度に書かせて頂く事とする。
 今から二十三年前の高校二年生の夏の出来事であったが
 体操競技で既にインターハイ出場を決めいよいよ後二ヶ月足らずと言う時に
 突然何の前触れも無く跳躍力が衰えてしまい体操選手にとって

 最も要求される高さを失ってしまったのである。しかし私自身には
 全く身体の異変等が感じられず練習を行ってもいつもと何ら変わり無い
 感覚で踏み切っているのであるが、身体はいつもの
 半分の高さしか浮いていないのである。
 この事は競技の中でも床運動と跳馬を得意としていた私にとっては

 致命的で有り、真剣に出場辞退を考えるまでに至ったが
 監督から「それは一時的なスランプであるから克服するためには
 兎に角走れるだけ走れ」と言われ、当時まだ純真だった私は
 監督に言われわれるがままに通学の往復、昼休み、練習前と、
 ただひたすら走る事に専念し私の記憶では少なくとも

 一日に四十キロは走っていたと思う。そんな事を約一ヶ月続けたある日
 急に跳躍力が戻り初めわずか一週間程で完全に元の状態に
 復活する事が出来たのである。そんな努力の甲斐有ってか種目別
 跳馬では入賞を果たす事が出来、精神面でもかなり成長した事を実感した。
 その後もさすがに距離は少なくなったものの走る事は引退するまで継続し

 その結果百メートルを十一秒の前半で又一万メメートルを三十二分台で
 走る事の出来る足に鍛え上げたのである。
 そしてこれは余談になるが、高校を卒業して何年か経った同窓会の席で
 当時の監督に「あの時スランプから見事脱出出来たのは監督の良き指導の
 おかげでした」と言って帰ってきた返事が「ワシもあんな経験後にも先にも
 初めてでどう対処していいか判らんかったから思いついた事を
 適当に言っただけや」と呆れ帰る内容に思わず大笑いしてしまったのである。


 少し長くなったが、以上がスランプに付いての私の経験談であり
 今回の柔術での行き詰まりとはまるで別のものではあるが、
 どんなスポーツ又競技にも必ず何度か突き当たる「壁」が有ると思う。

 その壁を乗り越える事は至難の業では有るが、乗り越える事が
 出来た時其の者は以前より遥かに成長しているのではないだろうか。

       

                

                 平成12年6月29日 naosae
     
               ヒクソンとスパーリング

 それは去年の2月に新婚旅行でアメリカに行くことになりこの
 機会にヒクソンに会いに行こうと思いアポイントを取りました。
 当日受付で必要な紙にサインをしてお金を払い私は、30畳ほどの
 広さの練習場に通され柔軟体操をしているとヒクソンが現れました。
 そして、すぐにヒクソンにサインを頼むといやな顔せず心よく色紙に
 サインと「ストロング スピリッツ ストロング ライフ」と書いてくれました。
 そしてビデオカメラ、通訳のガイドお断りの完全マンツーマンで
      
 1時間のプライベートレッスンが始まりでした。
 最初は、柔術の説明からで、柔術は力を必要としないとか
 体重をうまく使うとかです。また、リラックスが1番大切ということで一つの
 技をやるごとに息をはかせ肩の力を抜くように言われました。
 さらに以下ののことを教えてくれました。

 1、「体重移動…お尻でコントロール
 2、「両脇をさされたら…相手の顔がある側の足を後ろにひき
    背中を丸くしてきる」
 3、「ガードからのリバース…えびで腰を床に90度にしてかかとで払う
    それでも足を広げてこらえた人は足の裏で膝を蹴る」
 4、「マウント返し…対角の腕を取り肩ブリッチするその時のブリッチは大きくする事」
 5、「マウントの乗り方…絶対に相手に乗らずに常にお尻を浮かせ、膝をしめる」
 6、「四つに組んだ時…スケボーに乗った時のように体重を相手に掛ける」
 7、「スリーパーの絞め方…相手の頭の後ろにまわした手の平は自分にむけて
    胸だすのと同時に肘をしめる」
 8、「倒されて立ち上がる時…膝をつけずにいっきに立つ」
          以上のことを教えてくれました。

 そして最後にスパーリングしてくれました。
  ヒクソンが私の体に触れた瞬間に倒され
 ガードを取ろうとしましたが、すぐに片足を越されハーフガード
 そのままそのポジションから十字絞めをされ、ブリッチで返すも
 そのまま引きつけられてタップ
 2回目も同じようにすぐ絞められタップ
 3回目ヒクソンはマットに仰向けになり道着の帯に両手を入れた状態から
 私をガードに取りスタート、三角を警戒しパスガードするもすぐに
 ガードの戻され、数分後とうとう横三角絞めで極められました。

 練習場から出て来た私は死にそうな程疲れていた顔で
 「ヒクソンは神」だと連呼していたそうです。
 あの時ヒクソンにあってって感じた事は、とにかく体全体からオーラがでているような
 不思議な感覚そして、何よりも世界一強いからといって
 鼻にかけるどころか英語の分からない私にとても
 一生懸命に教えてくれるとても親切な暖かみのある人でした。
 皆さんも是非アメリカにいく機会があればヒクソンにパワーを
 をもらいにいってはいかがでしょうか

       

  

           平成12年5月11日  るー
   

      筋トレ

 ハーリーで日焼けして、体中がいたい
 筋トレに、きたが身体がこすれるような動作はしたくないので
 背筋のトレーニング(マシン使用)と6kg程度のダンベルでベンチプレス
 それと久しぶりにハムストリング(太股の裏の筋肉)を鍛えた
 前2つは、別に何ともなかったのだが、最後のハムストリングスはきいた
 うつぶせになって、足首におもりをつけて上下させる動きを想像してもらえば
 いいと思うが想像以上にきいた
 おそらく片足1kg〜2kg程度、やってる最中は全然平気なのだが
  次の日は股裏全体に鈍痛が走った
 毎日、自転車にのっているので、脚力には自信があったのだが?
 次からメニューの中に積極的に組み入れてみよう
 ただ、あまり重いウェイトでやると、股関節がかたくなるので注意しないと
 

   

平成12年5月9日   novi & るー

     ウエイトトレーニング

  novi   ウエイトトレーニングで負荷を上げる時の目安を何か決めてるんですか?
       例えばその種目を何回こなせるようになったら何キロ上げるとか・

  るー   目安としては、80kgを3回上げれたら90kgが上がるといいます
       90kgが3回できたら100kgという感じ
       100kgを境にそれが5kg刻みになりますかね
       あたしゃ、つぶれるのがこわいんで5回を目安にして次に移ります
       奥武山の空手の先生はどんな人間でもベンチで120kg
       スクワットで150kgはあがるといいきります
       100kgのベンチなら半年であげれる人もいます
       柔術や他のスポーツにいかすのなら、重いのを上げるのではなく
       軽いのを落とすベンチもやっといた方がいいかも
       5kg〜10kgぐらいのダンベルを上げるのではなくTOPポジションから
       落とすつもりで行うベンチです
       これをやるとストレッチ効果があって次の日筋肉痛にならないんですよ
       もちろん稼働域もひろがりますし

 平成12年4月5日   novi & FE

    バーベル事件

 novi  先日から、会社の倉庫に置いてあるバーベルで少しずつ
      トレーニングをしているのですが
      ベンチプレスで70キロをなんとか10回こなせる様になったので、
      今日思い切って10キロ上げて挑戦して見たのですが、
      三回目で胸の所から上げられなくなって
      しまい、なんとかお腹の方までずらそうとしても首の付け根辺りで
      止まっているのでどうにもならないんです。

      最後の手段と思って、傾けてプレートを滑り落とそうとし
      たのですが錆びているので落ちてくれないんです。

      最後はなんとかバーベルを横に落として事無きを得たのですが
      もろに首の上で潰れていたらやばかったなと反省しております。
      やはり重いものに挑戦する時は誰か補助の人が居ないと危ないですね。

 FE   危険ですねぇ。自分はそういう経験はないですが、ベンチプレスは
      数年に一回はどっかのジムで事故が起こって、
      死人がでているみたいですね。

      今は目にする事ないけど、ジムにある腹筋台
      (坂道に頭を低くして寝っ転がる奴)にベンチプレスを
      組み合わせたような感じ(大胸筋の下の部分を鍛えるタイプ)の
      器具が奥武山の昔の体育館にあって、
      そこでも死んだ人がいるようですね。共通しているのは、
      補助がいない場合という事もありますが、周辺にだれもいない
      (他の種目をやっている人いない)時に起きちゃいますね。

      まぁ体を鍛えるのもいいですが安全を
      確保してからでないといけませんね。
      もしダンベルがあるようなら、ダンベルプレスやダンベルフライ
      (手のひらを内側に向ける感じのやつ)をやるといいのではないでしょうか

 

 

 平成12年2月22日  novi

  私と柔術

  生まれて約40年、今まで格闘技とは全く無縁だった私が、ここ沖縄 サブミッション柔術会の門を初めて叩いたのが昨年の10月。
動機は至って不純で、「格闘技でもやってみようか」とタウンページをめくっていて、
たまたま自宅の近くで、しかも柔術と言う聞き慣れない名前を見て、
「ここにしようか」・・・・ただこれだけの理由でした。

そして、忘れもしない10月14日。その日先生は不在と言う事でしたが、
トレパンにTシャツと言う出で立ちで、「果てさて柔術とはどんな物か」と
内心ドキドキしながら、いざ豊見城中学の武道場へ・・・。
まず最初にお会いしたのが、上半身裸のメチャクチャ強い I氏。 いきなり、こんなすごい身体を見せ付けられて、
「もしかしたら、来る所を間違ったかな」と、にわかに不安が胸を・・・・。
次に来られたのが実力者のG氏で、本日はこの方に指導をして頂く事になる。

まずは技の種類からと言う事で、アームロックに腕十字などなど。 「なるほど、柔術とはこう言う格闘技なんだな」と感心している間もなく、
何時の間にかG氏とのスパーリングに・・・・・。
こちとら高校出てから20数年、満足に運動もしてないし、
ましてや全く未知の世界で何をしてイイのやらわからんしで、
とにかく上に乗られたまま必死で動き回って気がついたら1時間。
もう精も根も尽き果てたと言う状態の中、帰り際に
、「続けられそうですか?」と聞かれ、はっきり言って自信は無かったものの、
そこは強がって「大丈夫です」と答えて女房の待つ我が家へ・・・・。
やっとの思いで家にたどり着き、部屋でぐったりしていると、
薄ら笑いを浮かべた女房が、糸満出身にもかかわらず
私よりもそれらしい関西弁で一言、
「そやさかい、やめとき言うたやろ!」

次の日は土曜日で休み。
全身のひどい筋肉痛を何とか女房にばれないようにしながら起きていくと、
今度は娘達が、「お父さん続けんの?」と聞いてくる始末。
さすがにここまで来ると後には引けないもので、「今日は柔道衣を買いに行」と、
ついつい答えてしまった。
そんなこんなで、最初の1ヶ月は筋肉痛との戦いで、
やっとそれが落ち着いたと思ったら、今度は右の耳に異変が・・・・。
日毎に腫れ上がってくる右耳を見て、又女房が例の関西弁で、

「あんたは弱いからいっつも下でもみくちゃにされてるやろ、
そやさかいそんな耳になるんやで!」

そんな耳も、みんなからオウムの信者と笑われるヘッドギアと5回の
血抜きのおかげで、なんとか元の形に戻る事が出来たのです。
早いもので気が付けば入門してから4ヶ月が過ぎ、
やっと自分の中で格闘技と言うものがなんとなくわかってきたような気ががします。

誰とやっても、負ければ悔しいし、やるからには強くなりたい。
これは誰しも思う事でしょうし私も又同じです。
最近少しずつですがウエイトトレーニングをやってます。
現在の目標は腕力をもっとアップして体重を70キロまで増やしたいのですが、
仕事が忙しかったりで、なかなか思う様に行かないのが現状です。
40歳も目前に迫り、どこまでやれるかは未知の世界ですが入門して
多くの仲間と出会えた事が一番の結果だと思っております。
本当はもっと格闘技に興味を持って、皆のマニアックな会話にも
参加できればいいのでしょうが・・・・。
とにかく、柔術は素晴らしい!
   

     

    

 平成12年2月15日  FE      
  

  「KASSIN(合戦)」について。  

まず、オープニング。花火あげるのはいいですよ。
でも「ちゅどーん!!」ではなくて「ぱっちん!」はいかんでしょ。
笑いが起きてましたよ。なんか「ミニk−1」見たいな感じでしたな。
でバーリ・トゥードですが、レベル低すぎる。
ベース内のウデ自慢を上げただけでしょうな。
タックルがぶって,そっから何していいかわからないやつらばっかりでしたからね。
唯一、小路 晃のお弟子さんがある程度の
技術体系を持っていましたが、いまどきベーシック1
(タックル→マウントパンチ→後ろ向いたところをチョークスリーパー)
が見られるとは思いませんでしたよ。
ただ、外人さんの「効かないフロントスリーパー」ははずすのが面倒だと思いましたな。
でもさすがに隣の女の子が、「何やってるかわからん」と
発言していたのはしょうがないかなと思います。

ムエタイの選手はレベルが高かったですね。
試合前のワイクー(勝利を祈る踊り)をじっくり見たのは
初めてだったんで感激しましたよ。
最初に出てきたロバートという選手はすごかったですね。
プレッシャーも相当なものだったと思いますよ。
いきなりロープ際で前蹴りの連打食らってましたからね。
ただ自分はスピードというよりやはり間合いの見切りとタイミングだと思いましたね。
ある日本の選手が「普通はパンチが来る、キックが来るってわかるんです。
でもムエタイの選手は攻撃が来るって事がわかるけど何が来るかはわからない。」
といってましたが同じじゃないですかね。

肘に関しても横からの肘がブロックされたら突き上げ肘を入れるとか。
さすがですのー。 
ムエタイでは相手の蹴りを腕で受けると「ブロック」では無く「腕を蹴られた」と
ポイントになるので、今回もハイとミドルの中間の
ような肩口を蹴る蹴りも目立ちましたね。
後の二人についても組んでからの展開がさすがでしたね。
一般の首相撲の形ではなくて横に食いつくような感じですね。

いちど右腕を脇に差し、左手でいったん相手の首を相手が前のめりになるように
崩して戻ったところをすかさず後ろに倒したシーンがありましたが
あれなんか組み技軽度も使えるんでは?と思いましたね。
ただ残念だったのは、ムエタイ選手は結構「倒し」にきてたんで、
王道(1R、2R様子見,3R,4Rミドル蹴りまくり、5R前げりちょんちょんで逃げ
まくる)が見られなかったのは残念でした。それとムエタイのブロック
(左手を前に伸ばして右手を左肘の上あたりで交差させる感じのやつ)は
アッパーに弱いとの定説があるみたいで、
二人目の選手は確かにもらってましたね。

でもですね、結構日本のチャンピオンクラスの選手がもてあそばれてましたけど、
あれでもタイでは「地方のトップクラス」みたいな感じらしくて
2大スタジアム(ルンピニ−・ラジャナムダン)のトップって
どんなんだろうってすごい恐ろしくなりましたよ。
ちょっと書きすぎて時間が無くなったんでまた今度にします。
                   
  

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